東京府移管問題


 今から120年と少し前、狛江村は神奈川県であったそうです。多摩東京移管120周年記念で公益財団法人東京市町村自治調査会から2月1日発行された『多摩市町村のあゆみ』によれば、明治26(1893)年国会に提出された政府案(西南北多摩三郡の東京府移管)は、三多摩郡民に大きな衝撃を与えたと言います。

 特に三多摩自由党(とくに南多摩郡と西多摩郡に大きな地盤を持っていた)は、東京府の地方税に堪えない、神奈川県の地方税経済に支障をきたすと激しい反対運動を起こしたそうです。興味深いのは、前述の南・西多摩両郡の全町村の反対に加わった北多摩郡5村の中に当時の狛江村が入っていたということです。狛江はいかなる理由から反対したのでしょうか。

 一方で、明治22(1889)年に甲武鉄道が開通したこともあり、東京府移管に賛成する人びともいたようです。特に北多摩郡正義派・国民協会系の人びとは地理的な利便性、経済的優位を理由に移管に賛成する運動を進めたと言います。調布町や神代村は賛成側であったようです。

 移管の理由はオモテとウラがあったといいます。表向きの理由は、東京市の水道改良事業のために水源の保護が必要であり、そのためには元来三多摩郡は東京府東多摩郡と一郡をなしている必要があるといったことだったらしいですが、裏の理由は自由民権運動がさかんだった三多摩自由党を神奈川県会から排除してその弱体化を図るものであったということです。

 面白いのは移管後の状況というくだりです。政治的に移管に反対であった三多摩自由党は東京府会で勢力を伸ばし、逆に移管賛成派だった北多摩郡正義派は勢いがなくなってしまったということです。移管後の神奈川県復帰運動もあったようですが、長くは続かなかったようです。

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