Profile

プロフィール

山田 たくじ(拓史) 

 

昭和42年5月14日生まれ、

和泉本町1丁目在住。

家族は妻と

一女一男の4名。

 

(趣味)

サッカー、読書、旅行

 

(主な活動)

平成15年より新潟県佐渡島において、

地元農協等とともにトキ野生復帰のため

無農薬水稲栽培に取り組む。

平成17年〜19年/狛江青年会議所において諸活動。

平成22年〜24年/狛江市都市計画マスタープラン改定委員会委員

平成24年〜「水と緑のまち 狛江をつくる会」代表

 

(学歴)

昭和55年3月/狛江市立狛江第五小学校卒

昭和58年3月/狛江市立狛江第一中学校卒

昭和61年3月/私立桐朋学園高等学校卒

平成 3年3月/東京大学経済学部経営学科卒

平成 9年6月/米国シラキュース大学大学院

        (Maxwell School)修了

 

(職歴)

平成 3年/農林水産省林野庁

平成 5年/経済局

平成 7年/米国留学(人事院)

平成 9年/畜産局

平成10年/金融監督庁(現 金融庁)出向

平成12年/農林水産省退職

平成12年/ロイヤル インダストリーズ株式会社入社

令和 1年/2019年5月1日よりロイヤルインダストリーズ株式会社専業

History

ヒストリー

幼少期から現在まで。

山田拓史のこれまでの軌跡を紹介します。

~多摩川の河川敷で若き日の母と~

1967(昭和42年)、多摩川のほとりに生を受ける。流域人口の急激な増加と洗濯機・合成洗剤の普及により、川の水質は悪化の一途を辿っていた時代。そんな環境下でも、この写真から伝わってくるように日本に生きる人々はすごいパワーを持っていたんだなと思います。

~はじめての動物園、今は亡きはな子と~

動物園が大好きでした。井の頭動物園のゾウ舎の前で幼稚園の頃の一枚。写真のはな子も2016年に69年に及ぶ生涯の幕を閉じました。それと多摩動物公園の「ライオンバス」。これも2016年3月で約50年に及ぶ歴史にピリオドを打ったとか。寂しいです。

~野球に夢中だった小学校時代~

プロ野球選手になるのが夢だった小学生時代。市内にもまだ野球が自由に出来る空間が結構あり、毎日野球ばかりやってました。テレビも野球漬け。放送が試合途中で終わると続きはラジオで!写真は当時出来たばかりの西武球場での試合前の一枚(後列中央)。

~高校のクラスメートと北海道旅行~

中学校に上がると一人旅が解禁になり、松尾芭蕉に触発され東北に。ユースホステルに泊まり歩き、旅の面白さに目覚めます。写真は高校のクラスメートと北海道旅行をした際のもの。稚内から朝、礼文島に渡り、島内観光後、最終便で稚内に戻るという強行軍でした。

~社会へ~

1991(平成3年)の大学卒業式・学位記授与式は、大学紛争以来約20年ぶりに安田講堂で行われました。ゼミの先生の本郷のご自宅での一枚。大学で経済を学んだ私たちを待ち受けていたのは、経済成長の終わりを告げるバブル崩壊という時代の断層でした。

~世界へ~

農林水産省入省4年目から2年間、人事院の行政官長期在外研究員制度で米国の大学院に。膨大な量の課題をこなし、人生で一番勉強した懐かしい日々です。大学のあるシラキュースはNY州オノンダガ郡の郡庁のある場所で、「オノンダガ」とはかつてこの地に暮らしていたアメリカインディアンの一部族、イロコイ連邦を構成するオノンダガ族にちなんだもの。このことが後に私にある事を深く考えさせることになります。
Wikipedia「イロコイ連邦」参照

小さな国の大いなる知恵』(翔泳社)参照

~人生の第二ステージへ~

海外留学直前に入籍・結婚。良き伴侶に恵まれました。写真はN.Y.のロックフェラー・センター内プラザ、万国旗の前で。二人で夏の休みに37日間かけてアメリカを一周したことは忘れられません。初の海外生活、しかも日本とは「国」の成り立ちが全く違うアメリカ、更には前述のような場所での生活は、私に唯一無二の経験を与えてくれました。

~再びふるさと狛江で~

2000年初夏10年弱務めた農林水産省を辞し、そのまた約10年後、市議会議員に。回り道をしましたが、自分の人生はここへたどり着くことを運命づけられていたのではないか。これからは地方の時代。国で働き、海外で学んだ経験はすべてこの狛江のために使わせていただこう。今、市議会議員を務めさせていただきながら、心底そう思っています。

To be continued..

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